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大阪第120団の歴史-2<発団初期>   団の現状はこちら



<発団初期:昭和44年(1969)〜昭和49年(1974)>
 大阪第120団は、昭和44年に大阪第54団より、大阪第119団とともに同時に分封され、発団しました。

 昭和44年2月、大阪第54団合同B−P祭において発団宣言、翌3月大阪第120団は、石本静夫団委員長、築部てる子カブ隊長(大阪第54団カブ2隊を継承)、大塚正和ボーイ隊長(大阪第54団ボーイ1隊を分封)にて団登録を行い、登録承認を受けました。

 当時は、カブ隊を「年少隊」、ボーイ隊を「少年隊」、シニア隊(現在のベンチャー隊)を「年長隊」、ローバー隊を「青年隊」と呼んでいました。まだ、ビーバーはありませんでした。
 【当時の年少隊・少年隊・年長隊の名称は、CS・BS・VSの各隊旗に継承され、現在も使用されています。】

<昭和44年>
 3月21日、地元「山阪神社」に於いて、年少隊・少年隊の真新しい隊旗の入魂式を、大阪第54団、大阪第119団、GS大阪府第54団とともに挙行、4月3日には、この隊旗を先頭に、「第3回阪南地区ラリー」に大阪第120団として初参加し、いよいよ団独自の活動、「ワンツーオーの年輪」を刻み始めました。
 8月には、団合同の始めての夏季野舎営を、岡山県真庭の蒜山高原(鏡ヶ成)で行いました。団創立第1回目の大会に79名が参加、地元「真庭1団」との交歓会・岡山県野営大会見学参加など、大成功の夏の活動となりました。

 【真庭一団との交流は、カブ隊がまだ大阪第54団カブ2隊当時に中井カブ副長が真庭第1団友定カブ隊長とともに、日本連盟の指導者訓練(九州地方実修所=今のウッドバッジ実修所)に参加して知り合い、相互訪問を約束したことがきっかけとなり友隊として交流開始、大阪第120団発団後は友団として、カブ隊活動を中心に2〜3年毎の交歓訪問(スカウトはホームステイ)を行ってきました。都会の団と田舎の団の違いが、スカウトである子供達にとっては非常に興味があり、ボーイ隊に上進後や大人になった今も個人的に交流が続いているようです。大阪第120団のスカウトは、真庭第1団のスカウト宅に泊まり、田畑や木材業の広い大きな家や庭に驚いたり、満天の星に感動したり、近くの温泉に入ったりして楽しみ、真庭のスカウトは大阪のスカウトの家に泊まり、高いビルや大阪城・通天閣に登ったり、地下鉄に乗ったり、プラネタリウムの星を見たり、初めて公衆浴場(銭湯)に入ったりと、身近な生活文化の交流が魅力的な活動でした。残念ながら、真庭第1団は初団30数年で、種ゝ社会環境の変化の影響によりやむなく休団となりましたが、指導者間の交流は今も続いています。平成13年(2001年)の夏季団合同キャンプは、元真庭1団初本育成会長にお世話をいただいき、岡山県勝山キャンプ場で21世紀の新たなスタートを楽しみました。・・・発団から32年目でした。】

 9月6日には、文の里集会所にて、発団披露式典を開催、11月には、1〜3日にかけ、第二回阪南地区キャンポリーに元気良く参加(カブは見学)、年末には、長池グループである大阪54・119・120団とGS54団との合同クリスマス大会を、文の里集会所で行いました。


<昭和45年>
 万国博覧会が大阪千里丘で開催された年、3月28日の「万国博ボーイスカウトの集い」に参加、手旗を使った絵文字「EXPO’70」では、わが団のスカウトは「E」の文字の一角を担当した他、ロープ回しの行進等に参加しました。万国博覧会は、3月から9月まで6ヶ月間開催され、前年人類が初めて月面着陸した際に持ち帰った「月の石の展示」などでにぎわいました。
 8月に開催された、第5回日本ジャンボリー(静岡県朝霧高原)には19名が参加(BSスカウト14名、指導者4名、大阪連盟1名)、ボーイ小6生とカブ隊も見学参加しました。

 ♪明るい道を 開こう開こう ジャンボリー ジャンボリー 明日を目指して進もう進もう ジャンボリー ジャンボリー 高鳴る胸には 燃え立つ希望 オー! ジャンボリージャンボリー オーオー ジャンボリー!♪・・・第5回日本ジャンボリーは翌年開催の第13回世界ジャンボリーのプレキャンプとして同じ会場で開催されました


<昭和46年>
 この年、大阪第120団として始めてのシニアスカウト(今のベンチャー)7名誕生、54グループ(長池グループ)合同シニア隊として登録し活動しました。

 2月には、初めての団単独B−P祭を、神鍋山名色スキー場にて、雪の中で開催、8月には、団合同夏季野舎営を、和歌山県元島で実施、11月には、大阪第54団創立15周年記念式典(阿倍野区民ホール)に参加しました。

<昭和47年>
 3月に、第1回54グループスカウトフェア(信太山)に参加、4月の登録では団としてシニア班登録(大塚隊長、スカウト3名)でした。(前年までに上進したシニアスカウトは大阪第54団として継続登録)

 この年、2代目カブ隊長:北畠敬三、2代目ボーイ隊長:松中豊一の両氏が任命され、シニア班とともに新たなスタートとなりました。(※残念ながら、両隊長共、既に故人となられました。永遠のスカウト隊長として、団や隊の健全な成長を願っておられることでしょう。)

  ♪”ひとたび スカウトに ちかいをたてて 成りし身は 死して後も スカウトだ”♪ ・・・しばし黙祷

 夏には、54グループ合同の夏季野営(丹後半島・網野)に参加、秋には万博公園お祭り広場で開催された第13回カブラリーに参加しました。そして、団最初の少年菊スカウト(今のBS菊スカウト)が誕生しました。

  「一年生隊長として参加した私」・・・少年隊隊長:松中豊一
   準備野営を経て、本番の夏季野営がついに来た。この朝バスに乗るとき、スカウトたちが病気をしないか、怪我をしないか、そのことが頭の中で一杯。全員無事に出発点に帰れるか、そればかりを思いながら、丹後半島キャンプ場に着いた。着いてみると松林の中で、素晴らしいキャンプ場だ。早速設営して、開会式を待つばかり。プログラムとにらめっこ、幸いにも、隊付が一生懸命にスカウト達の指導をやってくれたので助かった。日が暮れてから、スカウト25名で隊の開会式。このスカウト達が、やがてはスカウトの指導者として、また社会の指導者として、大きく成長していくかと思えば、心強く思うばかりである。スカウト諸君、道端の雑草のように、踏まれても、踏まれても、立派に立ち上がれるように、忍耐精神力を身に付けてほしい。」・・・・54グループ機関紙「団のうごき」より

 北畠カブ隊長は歌が好きでした。元気よく歌わないととてもこわかったですが、元気がいいと、「カブはいつも元気だよ!」と言って、ニコニコ笑ってほめてくれました。
 松中ボーイ隊長は、お米を残すのが嫌いでした。お百姓さんが丹精込めて作ったお米を残して放るのはよくないといって、残った米は食べやすいよう工夫したり、残らないように分量調整するように指導されました。お二人とも、スカウトの成長を一番に考えておられました。

<昭和48年>
 3月は、第2回54グループスカウトフェアに参加、(実は、当時の団本部はシニアスカウトでした。その原動力が今の大120のインフラとなりました!)
 8月には、第3回阪南地区キャンポリーに参加しました。カブ隊は、54グループ合同宿舎で舎営、ボーイ隊は、牧野高原(後にマキノ高原)スキー場での野営でした。マキノ高原は、この年以降、夏季にキャンプ場開設やボーイスカウト各地区のキャンポリー会場として活用されています。でもこのキャンポリーでは、まだ「マーキーテント」もない、小さな寂しい団本部でした。この年、キャンポリーにも参加した一人のスカウトが、1級進級目前に病死したのが残念です。発団依頼現在まで、唯一現役スカウトの告別式となり、棺は同期・班員・指導者の手で運ばれました。

<昭和49年>
 この年、年長隊(後のシニア隊、現在のベンチャー隊)が発隊、初代隊長は大塚正和、若さあふれる明るい、基本に厳しい隊長でした。

 3月:第3回54グループスカウトフェアに参加、6月:発団5周年記念式典にて、シニア隊発隊(隊旗を披露)、8月:第6回日本ジャンボリー(北海道千歳原)に9名が参加(SS7名、BS2名、指導者名)しました。参加したSS(シニアスカウト)全員が菊スカウトと言う素晴らしい派遣スカウト達でした。ジャンボリー会場へは、神戸港からチャーター船で苫小牧まで往復しました。(始めての海外派遣・・・ただし国内でした)

 ジャンボリーに参加したスカウトの一致した意見は、大阪第120団のローバー隊を創ることでした。シニアスカウトとして、隊指導者不在の中も日本連盟の大会に参加させていただき感謝するとともに、ボーイスカウト2名の引率と健康管理を委ねられるたり、他団を含めた多くのスカウト達が漆にやられて真っ白な薬をぬられる中にも着実にプログラムをこなし、会場内外のプログラムを楽しみ、海外スカウトとの交流や、皇太子殿下(今上天皇)とも遭遇したり等々、貴重な経験・体験をさせていただきました。シニアーとして今後の活動を考える中、大阪連盟から派遣されたローバースカウトが合同奉仕隊として活躍する姿も見ました。こうして、大阪第120団独自のローバー隊創設の気運が高まりました。

 ♪ジャンボリー集うジャンボリー 千歳原 若さと情熱 流れる汗に 築き上げるすばらしい ぼくらの世界ジャンボリー ひろがる友情 日本ジャンボリー・・・♪

 秋には、阪南地区創立10周年大会・第5回地区ラリー(浜寺公園)に参加、また大阪連盟50周年ラリー(万博公園)にも参加しました。

 ★阪南地区・大阪連盟・日本連盟の各種大会に参加したシニアスカウトは、ついに立ち上がりました。・・・つづく

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<<発団後の歴史は、随時追加していきますので、お楽しみに>>     2002.12.25追加